代表挨拶

青木 和博
Kazuhiro Aoki
合同会社Bremch 代表社員
kazu_cookdododo ※料理アカ
kazu_enginv0521
経歴ポートフォリオ
経歴
1990年埼玉生まれ。
高校卒業後、電子部品の在庫管理・発注管理業務、
半導体商社の営業、カスタマーコールセンターを経験し、未経験からインフラエンジニアとして就職。
6年会社員を経験した後、同業他社に転職。
32歳で独立を決意して、フリーランスとして活動を開始。
2023年に『合同会社Bremch(ブランチ)』を設立して、代表社員に就任して現在に到る。
メッセージ
合同会社Bremch 代表の青木和博と申します。
会社のミッションである “人に寄り添い居場所をつくること” とは何か。
まず、会社のミッションをお話する前に、なぜSESを事業として会社を設立したかをお話したいと思います。
高校卒業後は、電子部品の在庫管理・発注管理業務に会社員として携わりました。
毎日、同じ業務の繰り返しで “やりがい” などなく悶々とした日々でした。
当時の私からしたら、”自分で頭を使ったやりがいのある仕事” を求めていたのかもしれません。
半導体商社の会社員時代、営業職を通してはじめて “IT” というものに触れます。
基盤に乗っている半導体製品が “世の中を幸せするシステムに使われていること” を知り、”刺激的で楽しかったこと” を覚えています。
ただ、当時悔しい思いをした記憶があります。
お客様は基本的に基盤を設計するエンジニアの方や、調達部の担当者の方です。
大学や専門学校で専門知識学んでこられた方々で
ご注文を頂いた半導体の製品が “なぜ技術的に選定されたのか” と理由もわからず。また、話がかみ合わないときもありました。
知識についていけず辛くなってしまい会社を退職しましたが、私にとっての “挫折” でした。
以降、フリーターを経験し、様々な人の出会いから “姿勢” “人に寄り添う“などの学びを頂きました。
たくさんの方々から助けて頂き、今でも感謝しております。
時は経ち、未経験としてインフラエンジニアに就職することになります。
私の中で2つの感情が渦巻いていました。
エンジニアも専門職。大学や専門学校を卒業しないと就けない業種だ。
未経験からエンジニアは “チャンス” だと。
当時の半導体商社の営業職で経験した “トラウマ” がよぎりましたが、
“ITを通して世の中が変わっていく姿、人が幸せになる姿がみたい”
と以前、感動した想いには勝てませんでした。
次は、技術をしっかり勉強して技術もできるエンジニアになろうとがむしゃらに勉強してきました。
私の拙い人生の中で “一番勉強した” と堂々と言えます。
同時に、エンジニアならではの悲しい現実も目の当たりにしました。
“勉強がついていけず挫折して退職した方”
“常駐先プロジェクトでパワハラ、セクハラで退職した方”
“常駐先プロジェクトで稼働が高く精神的に落ち込みで退職した方”
エンジニアの仕事は、”楽な仕事” ではありません。
私自身たくさん苦しみ、たくさん耐えたのも事実です。
なぜ、インフラエンジニアを続けてこれたのか。
“エンジニアや他業種の方々からたくさんの居場所”を頂き、時には励まして頂いたからです。
たくさん居場所を頂いた自身だからこそ “居場所” の有難みが理解できます。
私が今でも心に響いている言葉があります。
「地球上の全員が敵になったとしても、私は味方だから」
人に寄り添うことは、このような姿勢かと思います。
たくさん失敗してもいい。
自分らしさを大切にして、なりたい自分になるために挑戦する。
“ちょっとの勇気を振り出せる環境”
“時には寄り添える環境”
“人に寄り添える居場所をつくること”
をミッションに邁進していきたいと考えております。
想いを込めてBremchと名付けました。